大判例

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最高裁判所大法廷 昭和30年(オ)81号 判決

被上告人(拘束者) 横浜入国者収容所長 改発健祐

上告人(被拘束者) 揚学義

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

人身保護法により救済を請求することができるのは、法律上正当な手続によらないで身体の自由を拘束されている者で、その拘束又は拘束に関する裁判若しくは処分が権限なしにされ又は法令の定める方式若しくは手続に著しく違反していることが顕著である場合に限りこれをすることができるものであることは、すでに、当法廷の判例とするところである(昭和二八年(ク)五五号同二九年四月二六日大法廷決定民事判例集八巻四号八四八頁以下参照)。

そして、原判決の確定した本件拘束の事実関係の要旨は、本件請求者である被拘束者(昭和二八年一〇月二七日外国為替及び外国貿易管理法違反被告事件により東京地方裁判所八王子支部に起訴され、その頃勾留状の執行を受け、昭和二九年三月二六日保釈出所していた者)は、昭和二九年一一月八日午後六時三〇分頃横浜刑務所において出入国管理令(昭和二六年政令三一九号同年一〇月四日公布、同一一月一日施行、昭和二七年法律一二六号により法律としての効力を有する。)五二条、同附則五項(昭和二七年法律一二六号により従前の二一項を本項に変更。)の規定により入国警備官によつて外国人退去強制令書(被拘束者が連合国最高司令官の承認を受けないでわが国に不法入国したことが発覚し、出入国管理庁東京出張所長入国審査官が、外国人登録令一七条の規定により昭和二六年九月五日附を以て発布したもので、その後執行停止を受けていたもの。)の執行を受け、昭和二九年一一月一七日午後四時一〇分横浜市中区山下町一五七番地横浜入国者収容所(本件拘束者は同所長)に拘束され、爾来引き続き現在に至るまで釈放されていないというのである。本件被拘束者である上告人は、右出入国管理令並びに右外国人退去強制令書は憲法三三条、三四条の規定の趣旨に反し、また、本件拘束手続は同令六三条の規定に反すると主張するけれども、本件拘束処分は、右拘束の事実関係に照し、前記判例にいわゆる権限なしにされ又は法令の定める方式若しくは手続に著しく違反していることが顕著である場合に該当するものといえないことは明白である。従つて、本訴請求は、上告人の前記主張に対し判断を与えるまでもなく棄却すべきものといわなければならない。それ故、本件上告はその理由がないから、人身保護規則四二条によりこれを棄却すべく、上告費用については同規則四六条、民訴九五条、八九条に従い、主文のとおり判決する。

この判決は裁判官栗山茂、同小林俊三、同真野毅、同藤田八郎同池田克の少数意見の外全裁判官一致の意見によるものである。

裁判官栗山茂、同小林俊三の少数意見は次のとおりである。

わたくしは、本件においては多数意見のように、当裁判所の判例(昭和二八年(ク)五五号同二九年四月二六日大法廷決定)に則つて、単に理由がないこと明であるとして本件請求を排斥すべきではなく、本案についての判断を示すべきものと考える。

多数意見が引用している前記判例の事案は、日本国との平和条約一一条及び同条による刑の執行及び赦免に関する法律(昭和二七年法律第一〇三号)を違憲とする主張を前提として、戦犯の釈放を目的とする請求である。右平和条約一一条違憲の問題は結局日本国による同条約受諾の理由の当否に帰し、いわゆる統治行為に属する事項に外ならないといつてよいものであつて、かような問題は裁判所としてはその違憲法令審査権の行使即ち司法的抑制を自制するのが相当であると考える。それ故同事案においては当裁判所として請求が理由がないこと明白であるとして(人身保護規則二一条六号参照)排斥したのは正当だと思う。然るに外国人の不法入国による強制退去処分は前記判例の事案とはちがつて法律的判断の対象となりうるものであるばかりでなく、本件における請求者の主張の要点は、憲法三三条及び三四条の規定が刑事手続だけに関するものでないという前提の下に、入国警備官が被拘束者に対して執行した外国人退去強制令書は、憲法三三条、三四条の規定の趣旨に反するものであるから右違憲な令書に基いて拘束している横浜入国者収容所長は被拘束者を収容する権限がないというにある。そして請求者の主張するように果して入国警備官の発した外国人退去強制令書が憲法三三条、三四条の趣旨に反するものであれば、拘束者に収容する権限がないこと明であつて、しかも右権限の有無は本件拘束の事実関係に照し、一にかかつて憲法三三条、三四条が刑事手続だけに関するか否かの当裁判所の解釈によつて決するのである。されば多数意見のように、本件拘束が「前記判例にいわゆる権限なしにされ又は法令の定める方式若しくは手続に著しく違反していることが顕著である場合に該当するものといえないことは明白である。」とはいえないと思う。それ故当裁判所としては規則四二条で審問を経ないで上告を棄却するにしても、前記のように請求の理由のないことが明白であるとすべきでなく本案についての判断を示すべきであると思う。

裁判官真野毅の意見は左のとおりである。

本件被拘束者の拘束の事実関係は、原判決理由において示すごとく当事者間に争がない。従つて、本件の事実関係は、最も明確であつて、証拠調による認定の困難を伴う案件ではない。それ故、この事実関係に法律を適用して、本件拘束が違法であるならば、被拘束者が現に不当に奪われている人身の自由を回復せしめなければならない。

しかるに、多数意見は、「権限なしにされ又は法令の定める方式若しくは手続に著しく違反していることが顕著である場合に該当するものといえないことは明白である。従つて、本件請求は、上告人の前記主張に対し判断を与えるまでもなく棄却すべきものといわなければならない」といつている。その趣旨は、わたくしには甚だあいまいに感ぜられる。多数意見は、上告人の主張に対し判断を与える必要を認めていないが、もし判断を与えた結果本件拘束が違法でないならば上告棄却は当然であるけれども、反対にそれが違法であるならば釈放すべきが当然であろう。それを多数意見は、本件拘束が違法であるかどうかの判断を省略して、結局違法が顕著でないことを理由として上告を棄却していることになると思う。そうだとすると、これは一つの大きな問題であるといわなければならぬ。違法が顕著であるかどうかによつて、裁判の結果が異ることになつては、司法の根本的な前提が崩れ去ることになる。司法はすべての裁判官が法律を知り法律に拘束されることを前提として成立する。この故に、裁判官はどんなむずかしい法律問題でも、いかに骨が折れ苦しかろうとも、解決を与えなくてはならない。裁判官は自分は法律を知らないということを理由として、裁判することは許されないわけである。これと同様に、違法かどうかの法律的判断を与えないで、単に違法が顕著でないことを理由として棄却の裁判をすることは許されないものといわなければならぬ。確定した事実関係が違法であるかどうかの判断は、裁判官の能力の優劣と密接な関係を有する。能力の優れた裁判官は違法が顕著であると容易に認めうる場合においても、能力の劣つた裁判官は違法かどうかの判断が容易につかず違法が顕著であると認めえない場合があるであろう。だから、もし違法が顕著でないことを理由として棄却の裁判をすることが許されるとすれば、能力の劣つた裁判官は自分の能力の劣つていることを理由として棄却の裁判をすることを是認するの不合理な結果を生ずる。また一般に法律上の難問題は、違法が顕著でないとして棄却されることになつては、司法制度の根本が揺がされることになるであろう。

わたくしは、本件において当事者間に争のない明確な事実関係が、拘束を違法とするかどうかの判断を省略して、違法が顕著でないとして上告を棄却した多数意見には賛同することができない。本件においては是非とも拘束が違法であるかどうかの判断をすることを要するものと考える(なお判例集八巻四号八五二頁以下の意見参照)。

裁判官藤田八郎、同池田克の小数意見は次のとおりである。

多数意見は、本件被拘束者は、出入国管理令五二条、同附則五項の規定による外国人退去強制令書の執行を受けて拘束されている事実を確定し、しかも「右出入国管理令並びに外国人退去強制令書は憲法三三条三四条に違反し、本件拘束手続は同令六三条の規定に違反する」との被拘束者(請求者、上告人)の主張に対し、本件拘束処分は、「権限なしにされ又は法令の定める方式若しくは手続に著しく違反していることが顕著である場合」に該当しないこと明白であるとの理由の下に右被拘束者の違憲、違法の主張については何ら、実体上の判断を与えることなく、本件請求はこれを棄却すべきものとしたのである。

おもうに、人身保護法二条は「法律上正当な手続によらないで、身体の自由を拘束されている者は、この法律の定めるところにより、その救済を請求することができる」と規定している。同条によれば「法律上正当な手続によらないで、身体の自由が拘束され」ている場合には被拘束者は、この法律による救済を求めることができるのであり、裁判所はかかる請求のあつた場合にはその拘束が法律上正当な手続によつてなされているかどうかを審理し、その拘束が法律上正当な手続によつてなされていない場合、換言すれば、法律上正当な手続によらないで拘束がなされている場合には直ちにこの法律の定めるところにより救済を与えなければならないのである。人身保護法の規定している人身保護の要件は以上につきるのであつて、その拘束が法律上正当な手続によつてなされているか、どうかが当該裁判所に顕著でないからといつて、この法律による救済を拒否することは許されないのである。これは人身保護法制定の本義からして当然のことであり、また、人身保護法自体の明定するところである。

たゞ人身保護規則は、その四条に「法二条の請求は、拘束又は拘束に関する裁判若しくは処分が、その権限なしにされ、又は法令の定める方式若しくは手続に著しく違反していることが顕著である場合に限りこれをすることができる」と規定している。しかし、これは「請求の要件」に関する規定であることは同条の冒註に明記しているとおりであつて、すなわち、これは「請求を適法ならしめる要件」に関する規定であつて、請求を理由あらしめる要件に関するものではないことに留意しなければならない。法は、請求、審問、裁判その他の事項について、必要な規定を定めることを最高裁判所に委任し(法二三条)最高裁判所は、右委任にもとずいて「請求の要件」に関して右のごとき規則を制定して、濫りに本件による請求を提起して徒らに裁判所に無益の手数をかけることのないようにするため請求に一定の枠をはめて請求を規整する方策を採つたに過ぎないのである。すなわち、同条にいわゆる「顕著」とは請求自体についていうことであつて、その請求の主張するところから見て、拘束の違法、不当であることが顕著な場合でないかぎり、その請求を取り上げないというのである。換言すれば、その主張するところが支離滅裂であつて一向に筋の立たない場合は勿論、或いはかりに請求者主張どおりの事実関係、法律関係を肯認しても、尚且、拘束手続の不法不当でないことが顕著であるというごとき場合は、その内容に立ち入つて審査するまでもなく、請求を門前払いするという趣旨の規定である。(同条が門前払に関する規定であることは、同条の冒註に前敍のごとく「請求の要件」と掲記されていることから明白であり、この要件を欠く場合には規則二一条一項に従つて請求を不適法として、決定をもつて棄却すべきである)門前払いに関する規定である以上、その要件の解釈については可及的に寛でなければならない。そうでなければ、無暗に門前払いを事とし、人身保護の目的は達せられなくなるからである。請求者の請求自体において、右のごとき「顕著」の要件に欠けることなく、その主張するところが一応筋道がとおつているかぎりは、その請求を不適法として棄却することはできないのである。多数意見のごとく、同条をもつて、本案に関する要件と解し、いわゆる「顕著」の要件を具備しない場合、裁判所は、人身の保護を拒否することができるものと解するにおいては、同条は不当に法二条を制限することとなるのであつて、かくては、憲法につながる人身保護法の本旨に照し、規則四条は無効と断ぜざるを得なくなるであろう。

今本件請求の趣旨についてみれば、請求者が本件拘束を不法であると主張する理由は原判決「事実」の項「二」に記載する(イ)(ロ)(ハ)に掲げる事由である。右の内、試みに(イ)のみについて見てもその主張するところは、要するに、憲法三三条三四条は、何人も現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲の発する令状によるか少くとも司法官憲が関与する場合でなければ逮捕、抑留、拘禁等一切の人身めの自由の拘束を受けないことを規定している。しかるに、本件被拘束者は司法官憲にあらずして法務大臣に隷属する行政官憲たる入国審査官の発した外国人退去強制令書によつて人身を拘束されているのであるから、本件の拘束は、前記憲法の規定に違反するというのであり、本件拘束が司法官憲の関与なくして行われていることは明白な事実であるから、その主張する法律上の見解の当否はしばらく措き、その主張自体は一応の筋道はとおつているというべきであつて、これを規則四条所定の「顕著」の要件に妥当しないものとして請求を不適法とすることはできないのである。すなわら、本件の請求は同条所定の「請求の要件」はこれを具備するものとして、その内容について審査し、その主張の当否を判断すべきものである。

自分は、多数意見が規則四条のいわゆる「顕著」が「請求の要件」であることを看過し、かつ右「顕著」の意義を正解せず、本件請求の内容について審査することなく、漫然「本件請求を理由なしとして棄却した原判決」を是認したことはあやまりであると思料する。

(裁判官 田中耕太郎 栗山茂 真野毅 小谷勝重 島保 斎藤悠輔 藤田八郎 岩松三郎 河村又介 谷村唯一郎 小林俊三 本村善太郎 入江俊郎 池田克)

上告代理人加藤礼敏の上告理由

第一点 原判決は憲法第三三条、第三四条の規定の趣旨に違背した違法がある。

即ち原判決はその理由の中で、「(イ)の主張に対する判断」として「憲法第三三条及び第三四条の規定が刑事手続に関する規定であると解すべきことは、広く人身の自由を保障する憲法第三一条の規定が別に存すること、同法第三三条の文言に「現行犯」「犯罪を明示する令状」等の字句が存すること及び同法第三四条は前文が身体の自由に対する拘束の開始たる逮捕についての保障を規定しているのをうけて、これに続く拘束の継続たる抑留拘禁についての保障を規定していることなどからみて明らかである」としている。

然しながら憲法第三一条は広く人身の自由を保障した規定ではなく、刑罰はすべて法定手続によるべきことを保障した規定である。このことは同条に「又はその他の刑罰」とあるによつて明らかである。

而して憲法第三三条及び第三四条を刑事手続にのみ関する規定というように特に狭く解するのは当を得ない。社会生活上最も害のある犯罪に対する刑事手続について憲法が先ずこれだけの保障をし残余を法律に委任しながら、その他の場合の行政官憲の逮捕、抑留、拘禁については無制限に法律に委任して行政権の行使に委せたものと解すべきではない。憲法の保障するのは国民は一切の場合に憲法第三三条及び第三四条に該当しなければ、逮捕抑留拘禁されない。即ち国家が国民を逮捕等し得るのは此の場合に限ることを保障する趣旨である。(佐々木惣一著改訂日本国憲法論第四百十五頁第四百十六頁参照)然らざれば身体の自由権の保障は意味をなさなくなる。又憲法第三三条及び第三四条の規定をかく解さなければ身体の自由を保障する規定は我が憲法上なくなつてしまう、身体の自由権について出入国管理令のように行政官憲である入国審査官の発した外国人退去強制令書の如きものが人身を拘束し、而も司法官憲より強大な侵害(大村市所在大村入国者収容所には一年以上収容されている者が多数いる。殊に本件楊学義の場合は刑事手続の終了する迄無期限に収容する結果となる)を行うことを憲法が許容しているとは解せられない。

そもそも出入国管理令は昭和二十年勅令第五四二号「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件」に基き制定された政令であり、その後昭和二十七年四月二十八日法律第一、二、六号「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く外務省関係諸命令の措置に関する法律」により法律としての効力を有するものとされているに止る。而も右、「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く外務省関係諸命令の措置に関する法律」たるや第一条に於いて出入国管理令の一部改正を行い第四条に到つて初めて、「第一条又び前条に規定する命令は、この法律施行後も法律としての効力を有するものとする」と規定している。このような体裁で形式上法律としての効力を持たせているに過ぎない。

法治国として、正々堂々たる法律の体裁でありその公布であるに疑を抱かざるを得ない。むしろ当局としては憲法の規定に違反するからこそ、このような体裁を整えたのではないかと疑を抱かざるを得ない。

憲法の規定は民主々義下の今日に於いては、支配者又は当局官憲にとつて都合のよいようにのみ解すべきではない。人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果を永久の権利として信託された趣旨に則つて解釈しなければならないものである。

かくして出入国管理令のうち、少くとも入国審査官の発した外国人退去強制令書の如きものが殆んど無期限に収容をなすことを許すが如き規定は憲法に適合せざるものであるに拘らず前記の如き解釈を採つた原判決には、憲法の解釈を誤りその趣旨に違背した違法があるから破棄を免れないものと思料する。

第二点 原判決は出入国管理令第六十三条の規定に違背した違法がある。

即ち原判決はその理由の中で(ハ)の主張に対する判断として「次に出入国管理令第六三条第二項に規定されている刑事訴訟に関する法令の規定による手続というのは、刑事訴訟に関する法令による手続のうち、身柄拘束に関する手続のみを指すものと解するを相当とする。けだしこのことは右の文言が、刑の執行に関する法令、少年院在院者の処置に関する法令と並べて規定されていることから容易にうかがわれ、また同項但書には刑の執行中においても検事総長等の許可を得れば、退去強制令書を執行することができる旨を規定しているところからみても、同条第二項は現実に外国人の身柄が拘束されている場合を対象として規定されたものと解せられるからである、したがつてすでに刑事訴訟手続における身柄拘束をとかれた被拘束者に対しては右条項は適用がないといわねばならない。」としている。

然しながら同令第六三条第二項の明文はそのように読み得ないのみならず、若し保釈中の被告人に退去を強制して国外に退去させるとすれば、日本国の刑事裁判権をいかにするかに付いての明文がないこと(現在のままでは刑事々件は永久末済事件となつてしまう。)仮に収容中の被告人に実刑の裁判の言渡があつた場合刑の執行との関係をどうするかについて明文がないこと、保釈の取消があつた場合勾留と収容との関係をどうするかの明文がないこと等からも原審判決の解釈が正当でないことは明らかである。

而して仮りに送還をせず収容のみを行うとすれば、本末を誤るものである。送還が本来の目的であつて収容自体が本来の目的でないことは明らかである。然るに拘らず収容のみを行つて刑事裁判終了迄送還しないということ自体が既に基本的人権を無視するものである。

そもそも出入国管理令第六三条第二項の如き趣旨の明文は出入国管理令の前身たる昭和二十六年二月二十八日政令第三三号不法入国者等退去強制手続令までの法令にはなかつたのである。その為、刑事々件の処理と退去強制との関係において、前記の如き不都合(例えば刑事々件の永久未済の発生等)な結果が発生したのでかかる明文を置いたものと思料されるのであつて、かかる明文の置かれた後においても尚且原判決の如き解釈を採つて刑事々件の処理に不都合を生ぜしめるのは極めて失当である。

従つて同令第六三条第二項の規定は明文の通り被告人が勾留中であると保釈中であるとを問わず、すべて刑事手続が終了した後執行すべきものと解すべきである。

かくして、原判決は出入国管理令の解釈を誤つた違法があるから破棄を免れないものと思料する。

以上何れの理由によるも原判決は破棄を免れないから貴裁判所に於いて当然原判決を破棄の上被拘束者楊学義を即時釈放する旨の御判決あるべきものと思料する次第である。

以上

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